[NBA]ニックスのオビ・トッピンがデイトン時代を教えてくれる〜Next Generationより

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表紙写真:THE PLAYERS’ TRIBUNE「Next Generation」

以前ランドル自身が書いたエッセイでTHE PLAYERS’ TRIBUNEに掲載された「Reputation」って記事を紹介したけど↓

今回はちょっと前の2020年11月16日にTHE PLAYERS’ TRIBUNEに掲載された、オビのエッセイ「Next Generation」を紹介します。

2020年のNBAドラフトが開催されたのは11月18日(現地)。それ以前に掲載された記事でオビがまだニックスになってないから、わたしはこの記事の事は知らなかったんだけど。。

今年の7月13日にNew York Postの「Knicks interested in ‘very available’ Collin Sexton in potential NBA Draft trade」「ニックスはコリン・セクストンに興味がある」って記事を読んだときに、今は修正されてるみたいだけど「トッピンはオハイオを第2の故郷のように思ってる」って書いてあったので、デイトン時代にどんな時を過ごしたのかなと思っていろいろ探してて見つけた記事です!なんか短くまとめようとしても、結局けっこう長くなってしまった。オビの純粋なところがすごく出てるし、これからも変わらないでね〜って思う内容ですごく好きな記事です。

Next Generation by オビ・トッピン

参考記事:THE PLAYERS’ TRIBUNEより Next Generation by Obi Toppin

ストリートボールというのはごまかしが効かない。

ニューヨークシティで生まれ育った自分の子供の頃の思い出の場所は、インウッドのダイクマン・パークやウエスト4thストリート、そしてもちろんラッカー・パーク。このコートに立ったら逃げも隠れもできず、プレーするか、いろいろ言われるかのどちらか。

「いろいろ言われる」というのは、コーチにコートサイドに呼ばれる事じゃない。マイクを持ったMC、相手チーム、観客、近くのアパートの窓から見てる人たちみんなが野次を飛ばしてくるってこと。

そのハイプレッシャーと雰囲気は他では決して味わえない。そこで最高のレジェンド達を見て育ったけど、やっぱり自分の一番のお気に入り選手は「ダンカーズディライトDunker’s Delight」

ダンカーズディライトについて少し話す。

何故そんなニックネームがついたかを想像するのは簡単。それは彼がどこからでもダンクできるから。クレイドルリバースダンク?360ウィンドミル?レイアップと同じくらい簡単。だって彼は飛べるから。

ダンカーズディライトはthe Court Kingzというストリートボールチームの一員として各地を訪れていた。ちょうどハーレム・グローブトロッターズのようなかんじで。ニックネームは彼がダンクする姿からついたものだけど、彼の本当の素晴らしさは試合をする能力にあった。どこからでも打てて、いつでもシュートにいける信じられないようなボールハンドリングにノールックパス。でも決してミスをしない。自分はリムプロテクターだと思っている相手選手達をいつもポスタライズしてきた。

多くの若いストリートボーラーが彼の試合に影響されて同じようにプレーするのを夢見てきた。いつか彼のようにコートに出る度に尊敬され、レジェンドのステータスを得られる日が来ることを。

ダンカーズディライトはヒーローだった。。その名はオバディア・トッピン。彼は自分の父親でもある。

自分のニックネーム「ネクスト・ジェネレーション」の由来について話す。

12歳のときに初めて父が試合に出してくれた。その時みんながこのニックネームで呼び出した。あの頃の自分はすごくナーバスな、ただのやせっぽっちだった。父にアリウープのパスを出してるYouTubeを今でもたまに見て、当時の気持ちを思い出している。

その頃NBAはおろか、大学でプレーすることすらひどく遠くの事のように感じていた。人より飛び抜けて良かったところなど何もなく、父とthe Court Kingzでプレーしていた頃が自分のバスケのピークじゃないかと思っていた。正直、父と同じコートに立つことが自分至上最高にクールな事で、それでOKだった。

父がバスケの夢を実現しようとすることで、家族は長年にわたり苦労した。何度引っ越したか分からないし、数える気にもなれない。自分以上に父の能力を信じている者はいなかった。同時に父の苦労を見て、試合で生計を立てるのは本当に大変なことなんだと実感していた。

引っ越し先は思い出したくもないような所ばかりだった。常に道を踏み外すのは簡単な環境にあったと思う。でもそうならなかったのは母のおかげだった。彼女も父と同じ本当のレジェンドだ。バスケでレジェンドなのではなく(コーチは少ししていたけど)家庭に安定をもたらしたレジェンド。どこに行っても、彼女はいつでも家族を一つにしてくれた。

自分のバスケの夢については。。親の金銭的負担を軽くするために誰かが奨学金をくれるくらい上手くなる必要があると分かっていた。

ただ、高校卒業後すぐに奨学金をもらってプレーすることは望みが薄いように思えた。たいてのトッププロスペクトは2年生までにビッグな道が決まっている。でも自分は遅咲きだった。シニアイヤーの最初の頃まで初めてのダンクをしなかったし、それだってリングをこすったギリギリのダンクだった(それでも得点になったけど!)。高校が終わった時、バスケはまだ自分にとってしっくり来ていなかった。自分が思う「カレッジでプレーするレベル」になっていないと分かっていたけど、それでもそのレベルになれるという事は信じていた。NBAでプレーするレベルではないかもしれないけど、奨学金をもらったり、将来は父のように海外でプレーする道は可能じゃないかと思っていた。

結局1年かけて自分自身を証明しようとプレップスクールに行くことに決めた。その時に自分の考え方が変わった。より高い期待と野心を持ち、気が散るような事にいちいち左右されるのを止めた。人生で初めて、自分の全エネルギーを試合に注いだ。ダイクマンやラッカーでプレーした時と同じ。平均的な選手のレベルで居る選択肢は無いとわかっていた。

プレップスクールでの1年で自分について多くのことを学んだ。試合内容は良くなり、父と同じダンクが全部できるようになっただけでなく、自分自身の新しいダンクもいくつかできるようになった。そして初めて「有名なストリートボールプレーヤーの息子」という以上の認識を得るようになった。カレッジが自分に興味を示し始めた。

カレッジでプレーできることと、バスケでどこまで行けるかトライできる機会を得ることには大きな意味があった。それは自分の夢であると同時に父の夢でもあったから。父は自身の力で名を成した。自分はその「Next Generation」。そのことをいつでもとても誇りに思っている。

NYKオビNext Generation
THE PLAYERS’ TRIBUNE:Couresy of the Toppin Family

いくつかのカレッジプログラムを訪れ、初めてオハイオに行った。そしてデイトン大学に足を踏み入れた時、大袈裟でなく「ホーム」にいると感じた。空港で。。キャンパスで。。みんなが自分を誰か知っていて声をかけてくれた。引っ越しばかりで、通りすがりに「Hi」と言われることに慣れていなかったので、本当に嬉しかった。

見回せばチームを応援する旗やサインがいたる所にあって、バスケがデイトンにとって、とても大切なものだということは明らかだった。

グラントコーチは「次のレベルでプレーしたい」という気持ちを分かってくれた。最初にリクルートに来た時、「月に行ける」保証はしなかったけど、それが無理とは言わず「自分次第」であると同時に、出来る限りの事をしてくれると約束してくれた。

デイトンを外の世界から見ると、カレッジプログラムは中位のレベルで、たまにそれ以上のこともある、というようなイメージかもしれない。でもバスケは街にとって人々を一つにする本当に大切なもので、実際そこに行ってみないとその感覚は分からない。選手、コーチ、ファン、全ての人々がバスケを愛している。そんな中で全力でプレーするのは大変なことではなかった。そこでプレーすればするほど人として、プレーヤーとして成長していった。

2年目が終わる頃、オールカンファレンスチームに指名され、他にもいくつか賞をもらった。グラントコーチが「まだNBAに行く準備は出来ていないが、ドラフトのプロセスを試すことでフィードバックをもらってみては」と言ってくれた。そしてその後の言葉を今も鮮明に覚えている「それが終わったら又ここに戻って活躍し、レガシィを残してほしい」。

父の息子として、「レガシィ」という言葉には大変意味がある。NBAには後でも行けると信じていたし、それとは別に追いかける夢があることは分かっていた。

チームには自分以外にも良い選手が揃っていて、どのチーム相手にも対戦できると分かっていた。あとはそれを証明するだけだった。

その機会はザ・ マウイインビテーショナルでやってきた。名門校はデイトンをウォームアップの相手くらいにしか思っていなかったが、最初の試合後にその期待値はすっかり変わった。

誰でも知っているアンソニー・エドワーズ率いるジョージア大学と対戦した。期待値ゼロで参加したデイトンはこの試合にただ勝っただけでなく、圧勝した。対バージニアテック戦でも同じ結果で、その時「これが我々デイトンだ」と確信した。

そして決勝でカンザスと対戦したとき。。今でもいつも思い出す。ESPNでマウイの試合を見て育ったけど、ラハイナのアリーナはすごく小さくて。カンザスはどーやってあんなにたくさんのファンを集めたのか知らないけど、とにかくすごくうるさかった。チームメイトのジェイレンが試合中何か言おうとしたけど、口がパクパクしてるだけで、音がまったく聞こえなかった。この試合はOTで負けた。もう一度チャンスがあれば次は絶対負けない。

この後のシーズンは。。良いことがたくさん有りすぎた。3月までに20連勝した。これからもバスケのキャリアで素晴らしい経験はたくさんできるかもしれない。それでも大好きな仲間と達成した20連勝は宝物だ。デイトンでのエキサイティングな日々を説明するのは難しい。街に元気を与えたこと、ファンがチームに大きなエネルギーをくれたこと。なにもかも本当に素晴らしかった。

アトランティック10トーナメントに出場した時は、我々の野心は大きくなっていた。勝ちたかった。No1シードになってもう一度カンザスと対戦したかった。

カンファレンストーナメントはブルックリンで行われた。ホームに戻った気持ちになってエキサイティングだった。コロナで試合は延期になるかもしれない、という噂を聞いたが、チームはそこで自分達を証明する事に集中していた。

ブルックリンに到着した夜のことを覚えてる。フォーダム対デュケイン戦を見て寝ることになっていた。次の日の朝早くネッツの施設で練習があるからだ。

ハーフタイムが終わるころ、ロッカールームから誰もウォームアップに出てこないのに気づいた。最初「おかしい。みんなどこへ行ったんだろう」と思ったその瞬間。。全てが重なり、何が起こっているか分かって心臓がドキっとした。

終わった。。

シーズンはキャンセルされることになった。

間もなくコーチがみんなを集めて、トーナメントは正式に無くなったと発表した。

バスでデイトンに戻った。20連勝、ランキング3位、築きかけていたレガシィ。全てが消えてしまった。自分たちのここまでの道のりがこんな風に終わってしまうなんて、現実とは思えなかった。バスは涙で溢れていた。

自分たちが傷ついたばかりでなく、あんなに自分たちに期待を寄せていたファンや街が傷ついたことを思って泣いた。

そしてチームメイト達にひどく悪いと思った。自分はここまでの大会で有名になってきたけれど、今回のトーナメントは仲間のジェイレン、トレイ、ライアンたちにとってそのチャンスになるはずだった。大舞台に立つことで、世界中がついに「誰が相手でも勝てる本当のデイトン」の実力を目にするはずだった。

そしてキャンパスに戻って間もなく、コーチに呼ばれた。これまで多くのミーティングを重ねてきたが、今回のは短かった。コーチが自分の目を見てただこう言った。「ここを去る時が来た。もう準備は出来てる」

尊敬するグラントコーチのような人に「準備が出来てる」と言われ、泣き始めてしまった。自分のデイトンでのキャリアはこんなふうに終わるはずではなかった。チームメイトとネットをハサミで切ったり、ナショナルテレビで優勝を祝ってコートを駆け回ったりしないまま終わってしまった。

デイトンでのキャリアは自分が思ったような形で終わらなかったけど、自分たちの成果に変わりはない。一緒に成し遂げた仲間は誰一人そのことを忘れないだろう。

今の時代、自分にコントロールできないことに夢中になりがちだけれど、この経験から、自分でコントロールできることを最大限に成長させることの大切さを学んだ。それは自分自身を成長させることと人間関係を作ること。そうすれば将来何が起ころうと準備はできているということだ。

例えば遠隔で11月にドラフトがあるなんて、自分はまったく想像しなかったし自分の思い描いた夢とはまったく違うけど。でも大枠は変わらない。NBAにドラフトされて、父を象徴するチャンスを得たことは本当の意味で「Next Generation」という名を得たことになるのでは?!

それが重要なことだ。

ここまでの道のりは自分が思ったのとはぜんぜん違うけど、かといって普通の道を歩んできたわけでもない。ただいつも自分を導いてくれる素晴らしい人々に囲まれてとってもラッキーだった。

今でも「もしNCAAが行われてたらどうなってたと思う?」と質問されるけど、もうすぐプロになる者としてプロの回答をするなら「過去にとどまり、仮定の話しをするのは好きじゃない」って言うところだけど。

フライヤーズの一員としては、「マーチマドネスで最後のチームに残っていたと思いますか」と聞かれたら、答えは。。

「もちろんYes。疑う余地はない」。

NYKオビNext Generation表紙
THE PLAYERS’ TRIBUNE

ってお話でした!

まとめ

今回のコロナ世の中で、学生のみなさんはホントに辛い思いをたくさんしたんだなと改めて思いました。一番楽しい時であるはずの学生時代に自分達が打ち込んできた事で結果を試す機会が無くなってしまって、どれだけ悔しい思いをしたことか。

それでもオビの言うように良い人達と時を過ごすことで解決できることがたくさんある!ランドルやクイックやニックスのみんなと仲良くシーズンを過ごすことでお互いにすごく成長できたのではって思います!

そしてオビはオビのお父さんのことホントに大好きで尊敬してる。ダンクコンテストに出場したときのオビパパの笑顔、今でも覚えてる!

お父さんが試合でなかなか稼げず苦しい生活をしながらも、「稼げないからやめる」んじゃなくてオビパパの夢を支えたお母さん!プレイオフで、オビのダンクからアリーナ中が「Obi! Obi!」のオビコールで涙したオビママだけど。今思い出してまた泣ける!

この時期、「来シーズンは誰がニックスに居るのかな」って考えちゃう時期です。でもわたしは、出会いもあるけどお別れがあると悲しいから、あんまり考えたくないな〜ってかんじです。

オビが言うように、今コントロールできることをマックスして自分を成長させれば、何があっても準備できてるから!これからもずっと!

お父さんを越えてNBA選手になったオビ、おめでとう!Next Generationとしてニックスでこれからも、いつもマックス頑張ってほしい!

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